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Syowa40 思い出・なつかしい場所

すごもりレジャー

もともと、私の仕事は、平成の終盤からテレワークだったので、

世の中が無事でも有事でも、ソフトでもハードでも?

だいたい、生活スタイルは変わらない。

ただ、こう不要不急な外出を自粛と言われると、

家の中で、仕事以外のできることってなんだろうって考える。

ネットサーフィンは日常...。

映画やテレビを見る。

それ以外だと、本を読むとか。

なぜだか、ふと、ルービックキューブがしたくなった。

この立体パズル

ハンガリーの建築学者ルビク・エルネーさんが、

ルービックキューブを考案された。

いつもは、ネット通販で買うことが多いのだが、

ルービックキューブがもてはやされていた80年代は、

インターネットなんてなかったので、

買うことすら、リアルのお店で買いたくなり、

近所のリアルのお店でも、まだ現役で売っていて、ちょっとビックリした。

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80年代当時、全面、揃える前に、飽きてどこかに放置してしまったのだが、

探すよりも、買ってしまうのが、大人の悪いところか...。

昔は、二面までは揃えられたのに、悲しいことに一面までしかできなかった・・・。

80年代にルービックキューブといえば、この方!

沖田弘之さん

ヒロ君は全面を揃えられたのだよなー。

ルービックキューブを販売していた

ツクダオリジナルというメーカーは、

今では、メガハウスという社名となっていたが、

ルービックキューブをまだまだ作り続けてくれているのだ。

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平成よさらば

この昭和ブログも気が向いたら、更新というような感じだが、
そうこうするうちに、
2019年5月1日、年号が令和(れいわ)に突入してしまった。

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昭和生まれではあるものの、

昭和は、まだまだ少年から青年の入り口程度であり、

まだ、周りから助けられながら生きてきたので、
自分で生きてきたという感覚が薄い。

どちらかというと、学生~会社員、起業という、もがきながら

夢をかなえることが難しいと思い知らされる
平成(へいせい)のほうが、自分の人生の重みを感じる。

平成時代の最後の新聞を読みつつ、新しい年号の酒を飲み、
また、新しい時代をどう進んでいくのかというところである。

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いつも、こんな気分になるのは、年末の大晦日から元旦にかけてだが、
今年に限っては、こんな春に、そう思うことになるとは。

似合わない年頃

このご時勢の流行している音楽や文化がだんだん、分からなくなってしまい、

日曜日は山下達郎さんのラジオ番組を聴くことが多い。

サンデーソングブック

山下さんの選ぶ、懐かしい、良質なオールディーズが耳に心地よいのだ。

番組に、ゲストで、奥様でもある竹内まりやさんが登場されることがあり、
その中で、80年代のアイドル歌手 岡田有希子さんに提供した曲を竹内さん自身が
セルフカバーされた作品も流されていた。

ママの選ぶドレスは、似合わない年頃よ♪

-Dreaming Girl- 恋、はじめまして/岡田有希子

ああ、この人が作っていたんだ!

女の子は精神的な成長が早いので、10代も半ばになると、おしゃれや恋にも目覚めて

親の言うことがうっとおしくなってくるのだろう。

そういった心情を、かわいらしくポップに仕上げる竹内さんのセンス。

竹内さんが歌うと、アメリカンな雰囲気になるのだなあ。

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そういえば、岡田有希子さんの菩提寺が、近所にあると聞いたことがある。

そこで、バイクに乗ってドンブラコとたずねてみた。

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菩提寺は愛知県愛西市

佐屋町の成満寺(じょうまんじ)。

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岡田有希子さんの

本名は佐藤佳代(さとうかよ)さん。


1967年 - 1986年

1986年 4月8日

亡くなられたのは18歳・・・。


戒名は「有楽院釈尼佳朋(ゆうぎょういんしゃくにかほう)」。
有希子の有、音楽の楽、本名の佳代の佳から一文字ずつ取って、
"みんなに愛されたアイドル"を意味する朋の字を入れたものそう。

まさか、この自分が、芸能人のお墓参りするとは・・・。

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亡くなったのは、飛び降り自殺だったのだけど、
この当時、彼女のファンも、そうでない人も連鎖的に
あちこちで若い命を落としてしまうという事象が相次いだ。

時期的に春で、
陽気な季節とは裏腹に、
社会には新しい環境、学校や、会社などになじめなくて

落ち込んでしまう人だって、少なからず居たのだった。

当時、夕方のニュース番組で、キャスターの幸田シャーミンさんが、
命を大切にしてくださいと訴えかけていたっけ。

大人になると、どうにもならないことは、
"逃げる"という選択肢を取ることがある。

もしくは、"辞める"も。

ただ、彼女は、
逃げるということを選ばずに、自らの命を絶ってしまった。

慰霊碑には、こんなメッセージが書かれている。

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もしも ゆっくり休みがとれたら
油絵を描きたい
ファーストビデオで行った
スイスの山々を
まっ白なキャンバスに描きたい
幼い頃
どうしても画家になりたかった私
いま素顔の私に戻って
キャンバスに色をほどこしていく時
いいようのない 安らぎを覚えるのです。

真夜中のスーパーカー

NHKのBSで放送された

愛知発地域ドラマ

真夜中のスーパーカー

http://www.nhk.or.jp/nagoya/supercar/

トヨタ自動車ならぬ、ナゴヤ自動車、

ヤマハ発動機ならぬ、ハマヤ発動機、

ニッサンならぬニッシン

と、少しづつ名称をいじられているのが、いかにも公共放送らしい。笑

マンガっぽいお店

東海テレビの番組、『ぐっさん家』で紹介されていて
気になっていた
名古屋市昭和区の喫茶店 BuBu(ブブ)さん

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音楽はエルヴィス・プレスリーがかかっていたり、
アメリカンなインテリアがにぎやかで
オーナーさんがアロハでひげといういでたちで
どことなく、ドクタースランプの登場人物のような
雰囲気のお店です。

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平成最後の年

当サイトを久々に更新することにする。

気がつくと、今年は平成最後の年、平成30年。

昭和が最後になったとき、私は大学生で、昭和64年が1月7日で終わってしまったのだ。

大須演芸場


名古屋で唯一の常設で寄席(よせ)を楽しむことができた大須演芸場が
2月3日、半世紀もの幕を閉じた。

大須演芸場は1965年に開場し、幾多の困難を乗り越えながらも
なんとか経営してきたという、日本一、お客が入らない寄席ともいわれていた。

ここは、かつて、西川きよし、横山やすし、ツービート、明石家さんま、などの
お笑い芸人が芸を磨いた伝統のある場所でもあった。

私は、正月休み明けの人出の少ない平日に、はじめて行ったのだが、
なんともいえない枯れた味わいの佇まいにホッとしたのだった。

大須という町は、カオスな場所で、
老若男女が入り混じり、おしゃれな人や、そうではない人。
日本人や外国人。
アニメやパソコンのパーツショップ、メイドカフェ。

どんな人だって溶け込んでしまうゴッタ煮状態である。

高校生のころ、冬休みに友人と成人映画を見たのも大須だった。

入り口に「学生割引」とあったが、
いくら学生は学生でも、大学生だろうから、
そのときは、さすがに大人料金で入らざるをえなかった。(笑)

あの映画館があったのはどのあたりかは、覚えていないけど、
三本立てのうち、一本は小林ひとみだった。

小林ひとみが出てきたころ、家庭にVHSのビデオデッキが普及しはじめて、
まわりくどいストーリー仕立てのロマンポルノではなく、
即物的なアダルトビデオが台頭していくのである。

そうなると、ロマンポルノをわざわざ見に行くということはなくなり
だんだんとピンク映画は衰退していった。

さて、大須演芸場で、はじめて落語を生で聴いたのだが、
ラジオやCDなどで聴くよりも、耳にすんなり入り、とても面白かった。

ああ、これがライブの醍醐味なのだな。


会場にいるお客は、60~70代前後のお年寄りがほとんどである。

会場の出演者は、時事ネタを風刺したり、漫談したりで
ほんのひととき、嫌な事を忘れて笑わさせてくれた。

快楽亭ブラックさん



大須演芸場は、前からあることは知っていたのだけど、
寄席は、年寄りのものと思い込んでいて足が遠のいていた。

皮肉なもので、前から普通に存在しているときは、なんとも思わないのに、
世の中から無くなると分かると、とたんに愛おしく感じてしまう。

小学校の給食の献立で出されたゴムのような歯ごたえだったクジラの大和煮だって、
当時は、マズイ、マズイと思いながら食べていたのに、
今となったら超貴重品となった。

自分の住んでいる住宅に、「パンパンパンときてパンときてパン!」と
ケンちゃんシリーズ 主題歌「パン屋のケンちゃん」をかけながら
移動販売しに来てくれた手作りパンも、今や食べることができない。


このパンが、とてつもなく食べたい。

どんなに、豪華で高級な料理よりも、
記憶に刷り込まれた味覚には敵わないのではないだろうか。

なので、たまに、ミルメーク、マルシンハンバーグ、
石井のおべんと君ミートボール、丸大ハンバーグを買い求めてしまう。

この寄席を見た日、
なにが自分にとって大事なものかを考える機会でもあったように感じる。

地元の名古屋の企業が再建の手助けをするというのだが、
どうなるかは、まだ未定。

町は少しくらい、きれいじゃなくたって、きちんとしていなくたって、
良いと思う。

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

寛政の改革により、きれい過ぎる水では魚も住めない。
ぼうふらや水草がたゆたう水をあらわす、田沼意次の時代のほうが住みやすいという狂歌もある。

串カツは辞められない、止まらない


『八幡屋』『のんき屋』『五條名驛』と三軒並ぶ、
名古屋牛島町の交差点の串カツの立ち食いの店。

その中で八幡屋をチョイス。

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名古屋に住む者として、名古屋の味噌味は、まさにソウルフードである。

関西や関東では、ありえないであろう、甘みとしょっぱさを含んだ味わい。

そして、濃い赤茶色の見た目。

気に入る人は、辞められない、止まらないこと受け合い。

味噌、タレ、ソースと串カツはなんでも受け入れてくれる。

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サービスのキャベツが油っぽさを薄めてくれる。

沁みる!沁みるよ!名古屋人のハートが。

大阪や東京に行っても、どうしても隠し切れない名古屋弁。

ああ、名古屋に住んでてよかった。(笑)

お店の中は、お勤め帰りのサラリーマンであろう、スーツ姿の人がほとんど。

名古屋駅に近いことから、地方から食べに来られる方もいらっしゃるのかもしれない。

そんな、いくつもの背中を見つめながら、お客さんの数だけ、その人たちなりの物語が紡ぎだされていることだろう。

八幡屋は、50年ぐらい前に創業。『八幡屋』『のんき屋』『五條名驛』の三軒の中で最古の店だとかで、
店主は現在3代目だそうだ。


八幡屋名駅本店(地方から来られた方は『名駅』を「なえき」と読んでしまうことが多いらしい。
名古屋では「めいえき」と読む。)

名古屋市西区名駅2丁目18-7


052-571-3945

串かつ・串揚げ店

男気を身に纏う

地元の津島市にある、小粋なバー
そちらは「独国屋(どいつや)」という渋~いお店である。

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マスターがとてもシャイな方で、
ドイツというよりは、古きよきアメリカっぽい雰囲気かな。

私はドイツ語なら

Ich(I) liebe(love)dich(dich).イッヒ リーベンディッヒ

"あなたを愛しています"

Danke schoen ダンケシェーン

"ありがとう"

くらいしか話せない・・・。

あとは、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲン、ポルシェ

という自動車メーカーの印象が強い。

映画なら、バグダット・カフェが好き。

「Calling you」 Jevetta Steele 『BAGDAD CAFE』

バーボンももうずいぶん飲まなくなったけど、ここで飲むメーカーズマークは五臓六腑に沁みわたる。

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店内で流れていた、ちょっと古めの、アメリカやイギリスなんかのロックがはまり、
ちょっと背伸びしたかった頃を思い出す。

「ジム・ビームをロックで」
「オールド・ターキーをストレートで」
「あ、チェイサー(強い酒を飲む際に、続けて飲む水)お願いします」
「この曲って、BBキングですね~」

マスターと、そんな会話のやりとりをする。

(日本語でOK!笑)

こだわりがありすぎて、お客を選んでしまうような雰囲気だけど、
この西尾張地方のはしっこ津島市で、"男"になれる貴重なお店として長く残って欲しいので
このノリに共感できる方は、ぜひとも足を運んでみていただきたい。


津島市昭和町三丁目17-1
昭和ビル1F

独国屋 

自己所有で最古の家電

我が家で、もっとも古い家電。

それはナショナルのレコードプレイヤーである。

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大昔、母の母(つまり祖母)が、私の幼稚園ぐらいのときに買ってくれたのである。

家でレコードを聴くことなんて、高校生くらいが最後だったかと思うので、
もう25年は、まともに使っていない。

しかし、捨てるに捨てられず、まだこうしてひっそりと部屋の隅に佇んでいるのだ。

壊れてはいないので、今でもレコードを聴くことができる。

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レコードは井上陽水の『二色の独楽(こま)』というLPアルバム


爆発したようなアフロヘアとラングラーのジーンズ姿がいかにも70年代っぽくていい感じ。

70年代の井上氏は、本当にアグレッシブで、歌詞が小気味よくリズムに乗せられて
耳に伝わる。

アルバムの中の歌詞カードは本人の直筆というのもカッコいい。

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そして、貴重なサングラスを外した素顔も見られる。

まだまだ現役で使えるレコードプレイヤー
今は、ただ、壊れないように労わりながら、でも、時々は使ってあげたいと思う。

Blue-Eyed Soul

All That Jazz(オール ザット ジャズ)

Breathe(ブリーズ)


日本ではあまりヒットしなかったんだけど
さわやかなコーラスがキレイで好きだった。

本来、黒人が演奏するであろう、ソウルミュージックを青い目の白人が演奏することから

"ブルーアイドソウル"と呼ばれることがある。

ホール&オーツ、シンプリーレッド
そして、スパンダ-バレエとか好きな方なら気にいると思われる。

わずか、二枚のアルバムを残したのみの彼らの楽曲は、
ほどよくジャズっぽいアレンジをほどこされ
夕暮れの海をドライブしながら聴きたいような気分になる。

リリース当時、カセット版で所有していたのだけど、
どこかに行ってしまった・・・。

CDが出てきたばかりで、CD版がまだ高くて、カセット版を選んだのだけど
CD版で買っておけばよかったかな。

ガチャマンの町でお茶をたしなむ

愛知県の津島市にある喫茶店「機石荘(きせきそう)

機石荘

入口が、蔵の入り口であり、初心者には敷居が高い。


こちらは庭がとても手入れが行き届いていて、
国の指定文化財の古民家を利用された紅茶の専門店である。

機石荘
手入れの行き届いた庭

機石荘


機石荘

伊藤新毛織株式会社 伊藤新左衞門氏の像

機石荘

毛織=ウールで羊だろうか?
「さわってごらんウールだよ」なんていうCMもあったものだ。

津島市は、かつて毛織業がさかんだったことで
織物を作る機械が"ガチャン"と動くごとに万の金が動くといわれたことから
「ガチャマン景気
と呼ばれ、栄華を極めていた。


紅茶の命は香りということで、
オススメの紅茶の茶葉の数種類の香りを、体験をさせてもらえる。

お店も見事であるので、お茶のお値段も見事である。

機石荘
前茶 スイカと白桃とキウイのブレンドで香りは甘くさわやかな味わい

機石荘

夏摘みのダージリンティ、ピーチティーのジュレ(ゼリー)


ふだんはビジネスの打ち合わせなどはフリードリンクのファミレスで済ませているが、
ここはお一人様で行っても、落ち着ける空間が広がる。

店内はすべて女性の客で埋められており、私のような男性は珍しいかもしれない。

自分の住んでいる町って、つい近すぎて見過ごしているのだろうが、
田舎なのも幸いしてか、戦災も少なく昔ながらの建造物も残っており、
けっこう、津島市ってやすらげるスポットが多いといえる。

給食の人気者

小学生の頃、給食の献立(メニュー)で楽しみだったのが、インスタントコーヒーと砂糖を小さなパックに包装された、「ミルメーク」というコーヒー牛乳の素だった。
今夜(ブログを読まれる方は夜が多いような気がするので・・・)はミルクで作る(メイク)ミルメークについて、

瓶入りの牛乳を開けてそのままミルメークの素を入れるとあふれてしまうので少しストレート(?)の牛乳を飲んでから粉を入れ、そして紙のフタをかぶせて数回、瓶を振って飲むのだ。

瓶の底にちょっと溶け残ってしまうコーヒーのおかげで、底に近づくほど味が濃い目になっていく。

ミルメークは、大島食品工業が、昭和42年に開発した学校給食向けミルク用粉末飲料なのだそうで牛乳嫌いのこどものために、少しでも飲みやすくしようとして工夫された商品なのだとか。

大島食品は名古屋市の守山区に会社があり、こちらも可能であれば見学できたら面白いかもしれない。

そんなミルメークを近所の100円ショップ、ダイソーで発見!

ミルメーク

ややパッケージも変わり、コーヒー以外にも、イチゴ、バナナ、メロン、ココア、抹茶と仲間も増えていることに驚いた。



今では、豆にこだわるほど詳しくはないがコーヒーはブラックで飲むし、ウイスキーもビールも飲むようになったものの、ふとしたきっかけで昔、味わった飲み物や食べ物は、いい年になってもなぜだか、また飲みたくなってしまう。

そして、小学生というものは、無駄に特技とか負けず嫌いにこだわる世代であり、男子同士でにらめっこしながら牛乳を飲んだり、牛乳の一気飲みの早さ競争をしたりした。

そんなバトルの最中に牛乳を机や床にこぼしてしまって、雑巾で拭くのだが、床は牛乳でピカピカになるのに、雑巾はやたら臭くなってしまったりしたものだった。

私は、近所に、小学校のときに算数を教えてくださった先生がお住まいなのだが、
30数年ぶりに再会する機会を得られた。

その際に、「なんでも残さずに食べること」という教えを受けたので、それからはなんでも食べられるように努力しましたと話し、ダイソーで買い置きしていたミルメークを見せて、
「先生、良かったら飲んでみませんか?」と持ちかけたのだが、
「私、牛乳は嫌いなの~」
とあっさり却下された。

当時は鼻をつまみながら、半泣きになりつつも完食した。

それほどまでに苦しい思いをしながら、トマトやチーズ(今では好物になった)という、こどもなりにクセのある食べ物を食べた、あの努力はいったい・・・。
と、がっかりしてしまった。

年配の方(先生は80代)は、給食で、アメリカから無償で支給された脱脂粉乳(粉ミルク)を出されたことが多いようで、
とても飲みにくかったらしく、
それが元で牛乳嫌いの世代もあるようだ。



ホーロー看板のコレクション

明治~大正~昭和のころ、田舎であちこち見ることができたホーロー看板。

名古屋市緑区にある『ホーロー看板館』

ホーロー看板館

博物館の入り口


館長の佐藤さんは、ご自分で経営されていた印刷工場の壁に
ホーロー看板を飾っていたところ、
どんどんコレクションが増えていく。

ホーロー看板館


館長 佐藤さん

ホーロー看板館

ルー大柴さんとのツーショット


中には、今でも、それほど変わらないロゴマークもあれば、
ガラッとデザインの変わったものもある。

昭和懐古ブームもあり、
全国各地でも催事用に貸し出したりしているとのこと。

見学者も遠方からはるばる来られるという。

お話好きの館長 佐藤さんは、昭和の面白かった時代を謳歌された方であり
飛行機、船舶、自動車、オートバイ、乗馬、ボーイスカウト、海外旅行と多彩な趣味をお持ちである。

5歳の頃から収集癖があり、筋金入りのお宝の審美眼は抜群である。

こうしたコレクションを、
母親は捨てようとしていたところを止めさせていたという。

ホーロー看板以外にも、レアなおもちゃも多く、おもちゃだけでも本を何冊も出版されている。

これだけの資料性の高い博物館でありながら入場無料。

桶狭間の合戦で有名な桶狭間の信号の近くにあり、
興味を持たれた方は訪ねてみるといいだろう。

コレクションの一点、一点に薀蓄があるので、
あらゆる世代にマッチすることだろう。

たとえば、不二家のキャラクターはペコちゃん、ポコちゃんの不動の存在だとばかり思っていたが、
初期はアメコミのポパイが務めていたそうで、
あまり知られていないトリビアがぽんぽん聴ける。

断捨離(だんしゃり)というモノを捨てたり、てばなすという思想があるが、
こちらは正反対である。

ただ、事情により処分しなくてはならなくなった場合など、
こちらに寄贈するのも良いだろう。


住所:名古屋市緑区有松町橋東南2-20

TEL:052-623-2777

要予約:一時間前後解説つき

料金:無料

ホーロー看板館

発売されたばかりのテレビ

ホーロー看板館

ブリキの代用として使われたバドワイザーの缶で作られた収納箱

ホーロー看板館

ダッコちゃん、サザエさん、フクちゃん

ホーロー看板館
幕末のころの招き猫

ホーロー看板館

「ハヤシもあるでよー」でおなじみ
名古屋の人気コメデイアン、南利明さん

ホーロー看板館

ジャンボジェットのおもちゃ

ホーロー看板館
味の素の缶

ホーロー看板館
戦中と戦後をまたいだ定期券

ホーロー看板館
アメリカ製のネスカフェ

ホーロー看板館
進駐軍が持ち込んだバドワイザー

ホーロー看板館
トヨタ2000GTのおもちゃ

ホーロー看板館

なめんなよ!のなめネコ

ホーロー看板館

石原裕次郎の表札

ホーロー看板館
駅の看板

ホーロー看板館
ノーパン喫茶の立て看板とあやしげなおとなのおもちゃのガチャガチャ

ホーロー看板館
コレクションから生まれた本

ホーロー看板館
幻のヒーロー番組 突撃!ヒューマン

ホーロー看板館
資生堂チェイン

ホーロー看板館
ボンカレーの看板

ホーロー看板館
ウィルキンソンは今もデザインが変わらず

ホーロー看板館
ルート66の看板

ホーロー看板館

右から左に読む看板が多い

ホーロー看板館

由美かおるのアース渦巻、水原弘のハイアース

ちあきなおみさんのバージョンでもおなじみの黄昏のビギン

ホーロー看板館

館長の記念品



津島市の古民家カフェ

愛知県の津島市は、私の地元である。

地元の名所である津島神社のすぐ近くに
『まのや ToiToi』というカフェがある。

まのや


かつて津島市は、
「観光都市」として、「繊維の街」として栄えたのだが、
交通手段の発達から、街に泊まらずとも、日帰りで立ち寄れるようになったこと。

繊維も安い外国産の物が流通するようになったこと。

さまざまな要因から
徐々に斜陽の道を進み、今では名古屋のベッドタウンとして、その命脈を保っている。

そこで、まのやさんは、もう旅館としては使われなくなった昭和初期に建てられた家屋をカフェとして活用されている。

まのや


お店の前には、古めのアメリカのスポーツカーが鎮座している。

まのや



中に入ると、まるで、小学校の頃に読んだポプラ社の少年探偵団シリーズの舞台に迷い込んだような
なつかしい気分が満喫できる。

まのや

まのや


メニューの中では
チコリのカフェオレのお菓子付きがオススメ。

海外から買い付けられた雑貨、自由に読める本に囲まれた落ち着いたたたずまい。

まのや



せっかちな日常から開放されるかのように、ゆったりとした空間が広がり、何時間でも居たくなる。

近すぎて気づかなかった。

地元にもこんな素敵な場所があったのだ。


津島市祢宜町43番地

0567-26-2217

HP http://toi-toi.net/

不定休なので、行きたい日の前日に、あらかじめ確認を取られるとよいだろう。

高度経済成長期のかけらたち

愛知県北名古屋市に『歴史民俗資料館』という施設がある。

現在は合併して北名古屋市となり、

かつては『師勝町歴史民俗資料館』という名称だった。
昭和日常博物館(しょうわにちじょうはくぶつかん)とも呼ばれている。

まるで高度経済成長期の気運に満ち溢れていた日本の昭和30年代の空気を閉じ込めたようで、
私としては、世代的には違うものの、
薄れゆく古き良き時代を体感することができる。

開館されたころは、一般家屋の改築などで不要となった農器具、生活用品などを
寄贈されて展示していたとのこと。

それを、平成5年に昭和時代の文化を後世に伝えるために
当時の日用品を展示した特別展を開催したところ好評だったため、
そこから方針を変えて、昭和をテーマにした博物館として生まれ変わる。

歴史民俗資料館

円筒型の郵便ポスト


歴史民俗資料館

ウルトラマン、ウルトラセブン、ゴジラのソフビ人形

歴史民俗資料館
日光写真

歴史民俗資料館

ローラーで絞る洗濯機、これでボタンが割れてしまうことがほとんど。

歴史民俗資料館

重くて大きなおとな用の自転車、体の小さなこどもは三角乗りをしてしのいだ。

歴史民俗資料館
戦後の大スター 石原裕次郎

歴史民俗資料館
今でも、一部の料亭で愛用されている木の冷蔵庫

歴史民俗資料館

1950年代の海水浴の広告

歴史民俗資料館

キリンビールの瓶

歴史民俗資料館
臨海学校の写真


歴史民俗資料館

お米屋さんで買うジュース"プラッシー"

歴史民俗資料館
グリコの牛乳箱

歴史民俗資料館
ビートルズの「Abbey Road(アビーロード)」のLPアルバム

歴史民俗資料館
明治牛乳の牛乳箱と紙のフタ

歴史民俗資料館
森永、雪印の粉ミルク缶

歴史民俗資料館

ほとんど、現状のデザインと変わらないネスカフェとクリープのラベルの意匠

歴史民俗資料館
森永のキャラメル

歴史民俗資料館
ぼくもあたしもふりかけ

歴史民俗資料館

レトロな目覚まし時計



それが、今にも続く昭和レトロブームの一翼を担う存在となる。


こちらの民俗資料館は、懐かしいものを展示することで
お年寄りの世代に向けての「回想法」として活用しているという。

自分の全盛期に影響を受けたモノという存在は絶大であり、
当時のキラキラしていた自分を記憶の中から引き出すことで
脳の活性化を図れるそうだ。

難しいことはさておき、
この博物館は年間4万人もの来場者が訪れるほどの観光スポット、"回想法のまち北名古屋"のランドマークとして愛されている。
入場料も無料なので、行ける機会があれば、ぜひともお立ち寄りしてみてはいかがだろうか。

〒481-8588
愛知県北名古屋市熊之庄御榊53
TEL 0568-25-3600 FAX 0568-25-3602
開館時間     午前9時~午後5時
休館日     ・毎週月曜日
(ただし祝日のときは開館し、その日後の最初の休日でない日)
・館内整理日
毎月末日
(ただし、日曜日又は月曜日のときはその日後の最初の休日又は休館日でない日)
・特別整理期間
・年末年始(12月28日~1月4日)



おちょぼさん参り

今回は、ブログ開設から初の外出しての記事となる。

その記念すべき場所は
岐阜県海津市平田町にあるお千代保稲荷神社(おちょぼいなりじんじゃ)
通称"おちょぼさん"

お千代保稲荷神社



名古屋から一時間前後で行くことができることから、
岐阜という感覚がなく、名古屋の施設のような気分になる。

参道を歩くと、平日でも縁日の屋台に居るようなたたずまい。

おちょぼさん


おちょぼさんは、まるで昭和40年代から進化することを止めてしまったかのように
なつかしい雰囲気がただよっている。

鳥居をくぐるとすぐに手水舎があり、ここで手を清める。

神社の境内に入り、入口左手にある売店で油揚げと蝋燭を購入するので、
さきほど、洗った手もすぐ油でベタベタになるのはご愛嬌。

「なんで、油揚げとろうそく?」と疑問に思ったことは一度もなく、
こどものころから、ずーっと、おちょぼさんとはそういうところだと思ってきた。

とにかく、油揚げとろうそくのセットなのだ。

セットで30円。

おそらく、私がこどもの頃に親に連れて行かれた頃から、まったく値上げしていないんじゃないだろうか?

油揚げは、三角形で藁が通されており、油揚げに直接、手を触れることなく
藁をつかんで売店のオバちゃんから受け取る。

少し進むと、ロウソクを立てるための八角堂があり、
そこの献灯所に、びっしりとロウソクが立てられている。

「ちょっくら、すみませんよ」

と心の中で言い、火が消えてしまったロウソクを除けさせてもらって、
自分のロウソクを、他の火がついているロウソクから火をもらい
ロウソク立てに挿すのだ。

そして、本殿にて、参拝となるのだが、
さきほどの三角形の油揚げとお賽銭を喜捨する。

商売繁盛や家内安全にご利益があるとされており、
至るところに、会社経営者、自営業者などの名刺がはさみこまれている点が、
「ああ、商売の神様なのだなあ」と感じさせられる。

名刺



他の神社のように、お守りも、お札もない。

ただ、本人が来たよという目印として名刺を挿す込んで足跡を残すような、
犬のマーキングのような気分になる。

おちょぼさんは稲荷なので狐なのだが、
同じイヌ科なので、ある意味、似ているともいえる。

その反対では、おみくじを引けるようになっている。

おちょぼさんのおみくし



円柱形の銀の筒からガラガラ振って
番号が刻印されている棒を出して壁面に書かれている番号で
運勢を見る。

おみくじ



紙のおみくじではないのでエコロジー。

願いがかなうかづかが分かる重軽石もある。

おちょぼさん


参拝が終わり、境内を見渡すと、
ちょっと奥まったところに社務所があり、
先ほど喜捨した油揚げをビニールに小分けした箱がある。

一家族で二袋までという制限があるものの、自由に持ち帰ることができる

おさがりの油揚げ



そのため、裏技として、スーパーでもらえる白いビニール袋を持参しておくと良いだろう。

私は、人ごみを避けたいので平日に訪ねたのだが、
おそらく、土日、祝祭日は油揚げのおすそ分けにありつけないかもしれない。

参拝を済ませたあとは、おたのしみのおちょぼならではのB級グルメを堪能する。


・土手味噌

・串カツ

・なまずの蒲焼き

・モロコの押し寿司

・草餅

・大学イモ

といった、中京地方にお住まいの方なら一度は口にしたことがあるかと思われるソウルフードが食べられる。

今回は、玉家さんにて、串カツとどてをいただいた。

キャベツはお替り自由。

土手味噌と串カツ


こちらのお店はテレビで紹介されることも多いそうで、近々、秘密のケンミンSHOWでも採り上げられるとか。

家には草餅をお土産にした。

草餅


草餅は、できれば早めに食べたいところ。

日持ちしないため夏場は特に注意しないとならないのだが、冷凍庫で凍らせておけば大丈夫。

食べたいときにじっくりと室温で解凍しよう。



こんなふうに、おちょぼさんは、特別な気分に行くというような気負いもなく
フラリと訪ねたくなるような気軽さで迎えてくれるのだ。


わらぐつのなかの神様

小学校5年の国語の教科書に「わらぐつのなかの神様」という物語が載っている。


わらぐつを履くことがかっこ悪いと言う孫娘に
物には何にでも神様が宿っているということを
諭す祖母は、ある物語を孫に話す。

情景が浮かんでくるような展開、
決して派手ではないが、
雪国ならではの、古き良き日本人の良心が垣間見える作品。

数年前、小学生の姪の教科書を見たときに、
ああ、自分のこどもの頃と同じものってまだあるんだなあって
感慨深くなった。

時代は移り変わっても、不変のテーマのようなもの。

物語の登場人物は、じつは祖母であったこと、
できのよくないわらぐつをせっせと買ってくれる若い大工さん。
その正体は祖父だった。

今でもこうした女性と、お近づきになろうという男性も
居ると思う。

ああ、そうか、私はもう30年前に、すでに女性へのアプローチの方法を学んでいたのだな。

・とにかくマメに

・印象を残す

といったところかな。

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