大須演芸場
名古屋で唯一の常設で寄席(よせ)を楽しむことができた大須演芸場が
2月3日、半世紀もの幕を閉じた。
大須演芸場は1965年に開場し、幾多の困難を乗り越えながらも
なんとか経営してきたという、日本一、お客が入らない寄席ともいわれていた。
ここは、かつて、西川きよし、横山やすし、ツービート、明石家さんま、などの
お笑い芸人が芸を磨いた伝統のある場所でもあった。
私は、正月休み明けの人出の少ない平日に、はじめて行ったのだが、
なんともいえない枯れた味わいの佇まいにホッとしたのだった。
大須という町は、カオスな場所で、
老若男女が入り混じり、おしゃれな人や、そうではない人。
日本人や外国人。
アニメやパソコンのパーツショップ、メイドカフェ。
どんな人だって溶け込んでしまうゴッタ煮状態である。
高校生のころ、冬休みに友人と成人映画を見たのも大須だった。
入り口に「学生割引」とあったが、
いくら学生は学生でも、大学生だろうから、
そのときは、さすがに大人料金で入らざるをえなかった。(笑)
あの映画館があったのはどのあたりかは、覚えていないけど、
三本立てのうち、一本は小林ひとみだった。
小林ひとみが出てきたころ、家庭にVHSのビデオデッキが普及しはじめて、
まわりくどいストーリー仕立てのロマンポルノではなく、
即物的なアダルトビデオが台頭していくのである。
そうなると、ロマンポルノをわざわざ見に行くということはなくなり
だんだんとピンク映画は衰退していった。
さて、大須演芸場で、はじめて落語を生で聴いたのだが、
ラジオやCDなどで聴くよりも、耳にすんなり入り、とても面白かった。
ああ、これがライブの醍醐味なのだな。
会場にいるお客は、60~70代前後のお年寄りがほとんどである。
会場の出演者は、時事ネタを風刺したり、漫談したりで
ほんのひととき、嫌な事を忘れて笑わさせてくれた。
快楽亭ブラックさん
大須演芸場は、前からあることは知っていたのだけど、
寄席は、年寄りのものと思い込んでいて足が遠のいていた。
皮肉なもので、前から普通に存在しているときは、なんとも思わないのに、
世の中から無くなると分かると、とたんに愛おしく感じてしまう。
小学校の給食の献立で出されたゴムのような歯ごたえだったクジラの大和煮だって、
当時は、マズイ、マズイと思いながら食べていたのに、
今となったら超貴重品となった。
自分の住んでいる住宅に、「パンパンパンときてパンときてパン!」と
ケンちゃんシリーズ 主題歌「パン屋のケンちゃん」をかけながら
移動販売しに来てくれた手作りパンも、今や食べることができない。
このパンが、とてつもなく食べたい。
どんなに、豪華で高級な料理よりも、
記憶に刷り込まれた味覚には敵わないのではないだろうか。
なので、たまに、ミルメーク、マルシンハンバーグ、
石井のおべんと君ミートボール、丸大ハンバーグを買い求めてしまう。
この寄席を見た日、
なにが自分にとって大事なものかを考える機会でもあったように感じる。
地元の名古屋の企業が再建の手助けをするというのだが、
どうなるかは、まだ未定。
町は少しくらい、きれいじゃなくたって、きちんとしていなくたって、
良いと思う。
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
寛政の改革により、きれい過ぎる水では魚も住めない。
ぼうふらや水草がたゆたう水をあらわす、田沼意次の時代のほうが住みやすいという狂歌もある。
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